年間第24主日(B)

「人の子は必ず多くの苦しみを受け……」(マルコ8・31より)

ピエル・フランチェスコ・モラ「髭を生やした男である使徒(聖ペトロ)」
ピエル・フランチェスコ・モラ「髭を生やした男である使徒(聖ペトロ)」

イエスは何者か――それはマルコ福音書を貫く問いであり、私たちキリスト者一人一人に迫る問いであるが、今日の箇所ではイエス自身がその問いを弟子たちに投げかける。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」。それに対して、いつものように皆を代表してペトロが「あなたは、メシアです」と答える。しかし、ペトロの抱くメシアのイメージは「サタン、引き下がれ」というイエスの厳しい言葉で斥けられる。イエスが示すメシアの道は、権力によって勝利するのではなく、迫害され殺される道である。

 一つ忘れてはいけないのは、通常は指導者の失策を隠すものなのに、この箇所では、教会の中心であるペトロの誤りについて、ペトロの弟子であるマルコが公にしているということ。イエスが逮捕された後の箇所でも、ペトロの否認、さらには冒瀆(ヨハネが言うように、弟子ではないと言ったから)について伝えられている。

 そこに、ペトロにとっても、そして私たちにとっても大切な教えがある。キリストの弟子になるのは、私たちが正しいからではなく、神から罪を赦されたから。教皇フランシスコも最初に「一体あなたは自分について何を言うか」と質問されて「私はイエスに罪を赦された者です」と答えた。この意識の上だけ、私たちは本当にキリストを伝えることができる。キリストの証人になるのは、自分が正しい、自分が強いからじゃなくて、自分がその愛情とその赦しを経験したから。