「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2・18より)
福音書には、イエスを罠に落とすために質問しに来る人が何回も出て来る。今回は律法についてである。当時、ユダヤ人にとっても、ローマ人にとっても離婚は法律的に許されていた。しかしイエスは、法律で許されているからと言って、正しいわけではないと私たちに教える。そして、私たちが問題にする法律よりずっと上のところに目を向けさせる。結婚や離婚の問題は、法律や心理学ではなくて、究極的にどうあるべきかの問題である。イエスは、神がこのもっともすばらしい世界の中に(神は毎日最後に「よし」と言われた)もっともすばらしい生き物を男と女に造ったときの神の心を私たちに知らせようとする。男と女、この二人の関係から生まれる家族が神の心である。
100年前のデンマークの有名な哲学者キルケゴールは、自分の教会の状態を海に浮かぶ一隻の船にたとえた。その船の中に争いがあって、船長が人質にされて牢に入れられ、料理長と平船員が残った結果、毎日、船のスピーカーは大切な行き先ではなく、毎日のメニューと無駄話を告げるようになった。――これは私たちの世界でもある。男性と女性の関係、家族などについてさまざまな意見があって、私たち自身、波に翻弄される時がある。しかし、この日曜日、シノドスに集まった教会とともに私たちは、癒しと希望を与え、船を永遠の生命に導く船長であるキリストの声に耳を傾けたい。教会にとっても、世界にとっても、神の前でもこの秋が実りの多い秋になりますように。
(画像はユダヤの結婚契約書Ketubah。)