年間第28主日(C)

その中の一人は、自分がいやされたのを知って、 大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。(ルカ17・15-16)

 「エルサレムへ上る途中」。ルカがこのことをわざわざ何度も書くのは、エルサレムへのイエスの旅が十字架と復活への旅であり、その旅の途中でイエスが大切なことを遺言として言い残しているから。その旅の途中ではいろいろな出来事があるが、そのつどの出来事によってルカがイエスについて伝えたい信仰のテーマがある。今日の箇所の出来事は奇跡だが、ルカはイエスが奇跡をどのように行ったかを具体的に記していない。この出来事によってルカは何を伝えたいのか。
 「重い皮膚病を患っている」。「重い皮膚病」とはいろいろな病気に当てはまる言葉だ。それは治らない恐ろしい病気であるばかりか、汚れているとして神殿に入ることができず、また家族から離され人々から見捨てられるなど、社会的に差別された病気だった。聖書ではもっとも重い病気であり、盲目、貧困とともに死にたとえられるほどだ。この病気が治った例は、旧約聖書では二か所だけ、つまりモーセの姉ミリアムと今日の第一朗読のナアマンだけだ。
 「10人の人」。両手の指が10本あることから、10という数字は聖書ではすべてを意味するシンボルだ。つまり、ルカはこのエピソードに神学的なテーマを読み込み、すべての人がその病気にかかっていると言いたいのだ。ユダヤ人と異邦人は互いを差別するが、ユダヤ人であれ異邦人であれ結局同じ罪という病気にかかっていると。
 「イエスさま」。この呼びかけは新約聖書でも数少なく、イエスへの親しみを感じさせる。「わたしたちを憐れんでください」。「癒してください」という言葉ではないのは、その10人の人たちが病気が治ることよりも、人間として扱われることを望んでいたから。ちなみに、「わたしたちを憐れんでください」という言葉はオーソドックスのもっとも有名な祈りだ。
 「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」。これは、律法に従うように指示するユダヤ教の先生としてのイエスの言葉だ。らい病の治癒は当時、祭司が厳密に検査した上で、本当に治ったことを認め、特別な献金と引き換えに特別な祈りと儀式を行う必要があった。これは、ユダヤ人の律法にある掟だった。確かにイエスは律法の完成でもある。
 「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」。ルカが今日の物語で一番具体的な言葉で表現しているのは、奇跡そのものではなく、一人の人のこの振る舞いだ。それは、よく見ると、典礼の振る舞いを意味している。ここでルカは、最後の晩餐の箇所とは別の形だが、私たちキリスト者の日曜日の集まり、感謝の祭儀を考えているのだ。「この人はサマリア人だった」。ルカは、ユダヤ人より、サマリア人の態度を褒める。それは、イエスがユダヤ人から見捨てられ、異邦人から神の子として認められたということを反映している。
 今日の物語によってルカは私たちに何を教えたいのか。9人の人とはユダヤ人であり、イエスを律法の先生と考えてユダヤ教の律法に従い儀式を済ませて普通の生活に戻って行った。彼らは自分が掟を守ったから、病気が治ったと思っている。つまり、ファリサイ派なのだ。自分が神の言葉を守ったから、言われたことをしたから治った、つまり自分の行動で治ったと思っている。だから、イエスのもとに戻らないのだ。却って、ユダヤ人から異端者と思われていた一人のサマリア人が、すべてが神から与えられたものであることに気づき、戻って、癒しを与えた人に出会った。そして、癒されただけではなく、救われた。癒しと救い―この二つの言葉でルカは二つの態度を表現する。ルカにとって救われるとは、自分の問題を解決することではなく、イエスに出会うこと、キリストに出会うことなのだ。信仰とは根本的に、誰が奇跡を行ったかを認めることだ。9人の人たちは掟を守りながら祭司たちのところに行って、癒されたが、救われていない。一人のサマリア人はイエスに出会い、その顔に神の愛を認めることで救われたのだ。
 キリスト者の救いの根本は、宗教的態度をとったり道徳を守ったり福祉を行ったり祈りを唱えることではなく、生きたイエスに出会って、そのイエスが神であることを知ることにある。私たちは洗礼や聖体を始め、信仰のしるしである秘跡を通じてキリストに出会うことができる。ミサとは、私たちが共通にもっている罪の状態から癒されて、聖体によって感謝すること。だから、マンネリでミサに与るのではなく、罪の自覚、救いの自覚、感謝の自覚がとても大切だ。そこからキリスト者としての生活が生まれる。 

画像は、「10人のレプラ患者の清め」(『エヒテルナッハの黄金福音書』、1035-1040年、ニュルンベルク・ゲルマン国立博物館所蔵)。