「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(マタイ17・2)。
「声が雲の中から聞こえた」。声とは父なる神の声。その声はイエスの洗礼の時にも聞こえたが、今日は荘厳な形で聞こえる。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。「愛する子」とは、かわいい子という意味ではない。「愛する者」とはヘブライ語では雅歌にも出てくる「ドッティ」で、全財産の相続人を意味する。だから、神が言うのは、神が人間に対してどう思うか、どうしたいかをイエスがいちばんよくわかっているということ。だから、イエスがメシアであること、イエスの道が神が望む道であることを神ご自身が示したのだ。
「手を触れて」。イエスは病を癒す時に相手に触れることが福音書にしばしば書かれているが、ここでも同じ言葉が使われている。
「顔を上げて」。これは詩篇など聖書の多くの箇所に出て来る大切な動作だ。
「イエスのほかにはだれもいなかった」。モーセもエリヤも消えて、イエスだけがメシアとして残る。マタイはイエスだけがメシアだと宣言するのだ。