年間第11主日(B)

神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。(マルコ4・26―29)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「正午の休憩」、1880−90年、オルセー美術館
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「正午の休憩」、1880−90年、オルセー美術館

 神の言葉を信じて一生懸命やっても結果が見えてこない時、権力や人間的な知恵を使う誘惑を感じる。そんな私たちに向かってイエスが今日の福音で言うのは、神の国は目立たない形ですでにあるということ。そして、その力は人間の技術、人間の論理、人間の賢さによらない。神の国は、自動的(今日の福音書のキーワードautomate)に実をつける。

 だから、大切なのは、いい種、つまり神の言葉を蒔いたなら、必ずそれは実ると信じること。子供の教育や宣教をする時に私たちは「こんなことをして何になるか」「何も実りがない」と言うが、結果を判断するのは私たちの役目ではない。私たちの役目は忠実であること―イエスその方に、イエスの道に。

(2015年福音の再掲載)