世界一小さな教会の主任司祭

 スイスに本部があるベトレヘム外国宣教会のゲオルク・シュトルム神父様(1915−2006)。中国宣教から撤退した後、来日し、盛岡で日本語を学び、岩手県南部の大籠教会に赴任します。アルプスに生まれ育った神父様はそこで、酪農を通じて宣教しようとしますが、神父が労働をすべきではないと当時の司教が反対し、別の教会に転勤となります。そして、1959年、自ら志願して岩手県北部の二戸(にのへ)教会に赴任します。信徒は10名に満たない世界一小さな教会(推定)です。神父様は二戸の家を一軒一軒訪ね、キリスト教に関心がある人はいないかと聞いて回りますが、誰もおらず、がっかりしたと言います。

 失意の中でも祈り続ける神父様。聖務日課を唱える代わりに、ギターを片手に自分でメロディーをつけて歌います。二戸に移った翌年、オリジナルの聖歌集『バイブル・ソング』を出版。若い頃に隠修士に憧れトラピスト修道院に入ることさえ考えた神父様は教会の敷地で山羊を飼い、畑を借りて小麦や野菜を育てて自給自足の生活を送りながら、地元の植物画を制作したり、宮沢賢治の童話を知ったのをきっかけに童話を創作し、童話集『子山羊とフランシス』『幸せの種』を出版。もっとも宮澤賢治イーハトープ賞は辞退したそうです。

 工事で樹木が伐採された山を見たのがきっかけで、教会の庭で種から苗を育てて、木を植える活動を始めます。各地に2000本の苗木を植えて、岩手日報文化賞を受賞。御聖堂も神父様が木から彫った十字架像や聖母子像などが飾られました。

 神父様の帰天後、残念なことに、二戸教会は道路拡張工事のため取り壊され、もはや訪れることができません。しかし、私たち信者は、残されたさまざまな作品を通して神父様の霊性を知り、失意と孤独と貧しさの中でも祈り続け神から与えられた素質(タレント)を大きく育てることを神父様の生き方から学ぶことができます。たとえ信者が少なくても教会は教会なのです。

 神父様を紹介する黒澤勉著『木を植えた人・二戸のフランシスコ』(イー・ピックス)から神父様の言葉をいくつか引用しましょう。

 「農業は一番美しく、尊い仕事です」。

 「聖務日課を歌っているとき、私ははっきりイエズスに助けられていること、イエズスが自分の中に働いていることを意識します。信仰はペトロが言うように<冷静な酔い>であり、単に感情に支配されるのでなく、義務のように実行し続けるものです」。

 「スイスでは神父を頼んで植物を聖別します。…聖別を、プロテスタントは迷信だと言いました。しかしカトリックの信仰では、すべての自然の中に神の霊の働きを信じています」。

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 「神は決して人に強いることはなく、ただ提案するだけです。私たちは神の提案を受け入れその御旨を果たすべきです。それは多くの場合、小さく、つまらないように見えます。しかし、それはイエズスのもとに入って、大きなこととなります」。

 神父様のお母様はフランシスコ会の在俗会員で、神父様自身フランシスコを慕っていたことから、黒澤氏は神父様を二戸のフランシスコと呼んでいます。神父様の出身地スイスから、カトリックではありませんが、アルプスの少女ハイジや、晩年スイスに住んで庭仕事をしながら水彩画も製作したヘルマン・ヘッセも連想されます。いずれも日本人によく親しまれています。宣教師としての神父様の願いは、神父様が天に戻られたこれから叶えられるかもしれません。