病気になったら、私たちは病院に行きます。当教会の近くには残念ながらカトリックの病院はないですが、プロテスタントの日本バプテスト病院があり、当教会の信者もよくお世話になっていることと思います。町外れの緑豊かな環境で、産婦人科で人気のある病院です。牧師室があり、二人のよいチャプレンと一人のオルガニストが希望者の病室を回ったり、チャペルや附属する高齢者施設で礼拝を捧げ、館内放送でも流していて、ホスピスもあります。しかし、バプテスト病院で間に合わない場合など、他の病院に行くことになるでしょう。でも、キリスト教の病院でないからといって、福音が届かないわけではないようです。
例えば、京都大学医学部附属病院。携帯電話の電波も届かない地下の放射線治療部の待合室の掲示板に晴佐久昌英神父様の詩「病気になったら」が印刷された紙が貼られています。外来のコーナーに置かれため「利用者の声」というノートに患者さんが書き込んだ詩がよい詩だからと病院側が掲示したようです。
7連からなる長い詩(詩の前半のテキストはこちら)ですが、第1連から第6連は「病気になったら」で始まります。たとえば、第1連は「どんどん泣こう」とあって、病気になったら「自分の弱さを受け入れるチャンス」だと伝えています。以下、「おもいきり甘えよう」、「心ゆくまで感動しよう」、「すてきな友達をつくろう」、「必ず治ると信じよう」、「安心して祈ろう」と呼びかけて、病気はいろいろなチャンスであることを語っています。第7連はそのまとめです。
「そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままを受け入れて自由になり
感動と感謝によって大きくなり
友達に囲まれて豊かになり
信じ続けて強くなり
自分は神の子だと知るだろう」。
詩は「病のときは恵みのとき」と締めくくられています。そのような恵みのために祈りましょう。
この詩が入っているのは『だいじょうぶだよ』(リンク先はamazon)という詩集です。
次のようなニュースもありました。
食道がんの告知を受けてから、立山さんはキリスト教(カトリック)を救いの存在だと思うようになりました。
「死への恐れに対抗できる力は、そこにあると願っていました」
35歳で食道がん、死への恐怖と戦う先に見えた灯火 https://t.co/qyCZWqaPDW
— TomaP (@tomap_dayo) 2019年6月26日