魔法瓶

カトリック京都教区司教座聖堂河原町教会。左手の建物の一部はカトリック教会が司教館として使用、現在は建て替え工事中。
カトリック京都教区司教座聖堂河原町教会。左手の建物の一部はカトリック教会が司教館として使用、現在は建て替え工事中。

 王であるキリストの主日の福音で思い出すことがあった。

 仏教を学ぶために大谷大学に入った当初、ベリーニ神父様は大阪の南部から通われた。通学が長時間でたいへんなため、会から許可が下りて、京都に住むことになり、最初は三条河原町の司教館に居候されたそうだ。部屋にはキッチンもなく、朝起きても、洗面台の蛇口から出るぬるま湯でコーヒーを入れたそうだ。しかし、数日後それに気がついた司教様の賄いさんが、熱湯を入れた魔法瓶をもってきてくださるようになったという。神父様も帰天されている今だから、その方も帰天されているだろうか?それならきっとその報いを受けておられるだろう。

 「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」(マタイ10・42)。

 もっとも、私たちに二つの面があると神父様が言われたように、信者だから、司祭だから、修道者だから、そういう「小さな者」であるとは限らない。若ければ「小さな者」であるとは限らないし、年寄りであれば「小さな者」であるとは限らない。その都度イエスにどう従っているかなのだろう。けれど、若い時のベリーニ神父様がそうなさったように何も恐れずに従うようにイエスは力強い言葉で保証してくださっているのだ。